幸せなミイラになりたい未来

先日の夜のこと。

子供たちを寝かしつけ、久しぶりに夫婦二人の時間。
どういう話の流れをだったか、妻が「そのうちテレビから匂いがするようになるんかね」と言いました。

うーん、どうだろう。

確かに、プリンターインクのように、匂いカートリッジを入れておけば、様々な匂いを再現する技術は不可能ではなさそうですが、それを視聴者が望むか、と考えると、疑問が残ります。
料理番組の美味しそうな映像と匂いを堪能して、視聴者には空腹だけが残るようでは魅力的とはいえません。

それだったら、脳波をコントロールする方が良いのでは?と思いました。
最近の研究を見ていると、意外と近いところまで来ているようです。


視聴者?はヘッドセットを装着して、現場の体験と同じ電気信号を脳に送り込めば、本番さながらの擬似体験を味わうことができる技術。
美味しい料理の匂い、味、食感、そして満腹感だって再現できそうです。


ここまで想像して、ハッとしました。


アダルトビデオに革命が起きる!


男優の脳波を擬似体験する、という需要は間違いなくあるでしょう。
でもそれは、既存の市場です。
開拓が遅れている残り半分、つまり女性たちに対して、女優の脳波をコンテンツとして提供できます。
さらに、脳波だけなら、逆の性を体験することも可能になるのです。


これはヤバイ。


再生と蓄積が可能な快楽を得た人間は、どうなってしまうのでしょう。
痛みや悲しみ、苦しみもない、お腹も空かない脳内の楽園。

幸福感に包まれながら干からびて死んで行く事件が続発しそうな予感すらします。
これはまるで、かのSF作品が暗示した未来のようです。


映画「アバター」の仮想体験に没頭しすぎて痩せ細る主人公


映画「マトリックス」の生ける電池として電脳世界に生きる人間たち

マトリックス・アルティメット・コレクション 〈10枚組〉 [DVD]

マトリックス・アルティメット・コレクション 〈10枚組〉 [DVD]


これらの作品は突拍子もない作り話ではなく、思っていた以上に我々の未来の線上にあるのかも知れません。

我が社の「改善」の現状について

先日、社内で話をする機会がありました。

私は人前で話すのは苦手な方なので、本番では50%でも喋れれば何とか伝わるようにするため、事前に内容をしっかり作ります。
以下、準備した内容を公開します。


我が社の経営目標が「改善」になって3期目を迎えました。
最近、改善という言葉に慣れてきてしまった危機感のようなものを覚えています。

改善とは、良くすることです。
何を良くするべきかを考えることです。
誰もが当たり前だと思っていることや、ぼんやりとした共通理解について、もう一度、見直す必要があります。
それを踏まえて、現実的に実行できる方法を考え、行動に移すことが必要なのだと思います。

改善という言葉に触れる機会が増えたことで、逆に慣れてしまっている自分がいます。
周囲の雑音と同じように、目を耳を止めることが減ってきた気がします。
これは「改善」がスローガン化していて、思考停止に陥っているのではないかと思うのです。

社長がしばしば、「ひとつのヒット商品には100の商品が必要、ひとつの商品には100のアイデア。つまり、ひとつのヒット商品には、10000のアイデアが必要だ」という話をされます。
これを逆に考えると、ひとつのヒット商品には、9999のハズレネタが必要で、9999の失敗作が必要だということになります。
我が社の新製品開発の活動を振り返ってみますと、全く行っていない訳ではありませんが、このペースだと、ヒットする前に我々の寿命が尽きてしまいそうです。

この現状を批判したいのではありません。
新製品開発には体力が必要で、継続して作り続けるのは難しいものです。
だから改善が必要だ、と言うことを申し上げたいのです。
どうすればペースアップできるのか、もう一度よく考えて行動すること、これが改善だと思います。

先日の都知事選に出馬した、家入一真という人がいます。
ロリポップでおなじみの株式会社paperboy&co.を立ち上げた人です。
今はどうか分かりませんが、かつてホームページ上に、社員のアイデアを事業化するまでの流れを紹介していました。

最初に社員は、自分のアイデアをプレゼンします。
悪くないアイデアだと会社が判断した場合には1日2時間程度、仕事の時間を自分のアイデアを形にするために使えるようになります。
ステップが進むにつれて、使える時間が増えていき、最後には事業部を立ち上げるそうです。

これが我が社にとっても正解かどうかは分かりませんが、実現可能な範囲で実践している例として、ご紹介しました。

我々は我々にあった方法を試行錯誤しながら見つけていく必要があります。
「改善」という言葉のイメージが、漠然と「なんか良くなりそう」のままではダメなんだと思います。
「現実と向き合いながら泥臭く活動している状態」という言葉であること、そして実践することが大切なのだと思います。

以上です。

何のために勉強するのか

何のために勉強するのか。
子供たちにとって、永遠の課題です。
でも、大人にとっても、それは課題です。

若い頃にもっと勉強しておけばよかった、と悔やむ大人は沢山います。
しかし、じゃあ勉強していたらどうなっていたか、というところまで具体的に語れる人はあまりいません。
「きっともうちょっと稼げてただろう」なんて希望的な自虐が関の山です。

勉強は資格と違って、何かに直接役に立つものではなく、頭の基礎体力なのだと思います。
勉強とは、知識と思考の引き出しを増やすためにするものです。

センセー、勉強って、将来なんの役に立つんですかー?

これは発想が逆だと思います。

何かの役に立つから勉強するのではなく、何かの役に立つことを発見するための材料が、勉強で得た知識や思考なのです。
そして、それを発見した人が成功するのだと思います。
発見といっても、新商品を発明するだけでなく、身の回りにあるものごとの改善や発展にも、当てはまると思います。
知識と思考の引き出しが多いほど発見しやすい。
だから勉強が必要なのです。

注意したいのは、引き出しの多寡によらず、それを開けるかどうかにも本人の資質が問われることです。
引き出しを開けないままに忘れ去る人もいれば、取り敢えず全部開けて見る人もいるでしょう。
必要な時に必要な引き出しを開けるには、訓練が必要です。
そこに経験の重要性が隠れているように思うのです。

「勉強だけが人生じゃない」という人はいますが、「勉強さえしておけば人生は素晴らしい」という人はいません。
様々な経験から、頭の引き出しの開け方を学ばなければ、宝の持ち腐れになってしまう、ということを言わんとしているのだと思います。

そうなると、勉学を課せられている若者諸君の日々は、忙しいものであるべきなのでしょう。
詰め込むことも大切、そして、詰め込んだものを活かす訓練も大切。
「よく学び、よく遊べ」とはよくいったもので、楽しみながら身につけることで、知識と経験はより良質なものになることを示しているように感じます。

かつて、同僚の雅くんが「学校とかテストに関係ない勉強は楽しい!」と言っていました。
大人になるほど、勉強と趣味の境界線は曖昧になります。
誰にも強制されず、知的好奇心の赴くままに知識を貪るのは楽しい。
この感覚の目覚めが学生自分にあれば…と悔やんでも時間は戻せません。

ならばせめて、我が子の気付きを後押ししてやれる父でありたい、と願っています。

毎日を楽しむこと。
毎日は学びであること。
知ることは楽しみを深めること。
楽しむ心は育てるものであること。
すべては幸せに通じる道であること。

何事も失敗した数だけ上手になります。
だから、間違えることを恥ずかしいとか、失敗したくないからやらないとは考えないでください。

いっぱい失敗すると、だんだんと物事の楽しみ方が分かるようになります。

ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~

ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~

なぜ勉強するのか? [ソフトバンク新書]

なぜ勉強するのか? [ソフトバンク新書]

美味しい食事と身分制度、そして文化と気質

かねてより、食事が美味しい国は、身分制度の厳しさに原因があるのではないか、と考えていました。

食事を楽しむ上流階級がいて、取り立てられる手段として料理人がいる、という構図を思い描いていたのです。
日本、中国、ベトナム、インド、トルコ、イタリア、フランス、スペイン…。
一見、それっぽい仮説なのですが、このルールに則らない国があるのです。

イギリスです。

なぜイギリスの食事は不味いのでしょうか。
身分に上があれば豊かな暮らしをするのが人情、身分に下があれば上に行きたくなるのが人情。
美味い食事という、人間の根源的な欲求を、出世の足がかりにしないなんて。
その答えを長年、探していました。

世界のおいしい有名料理、フレンチ、イタリアン、スパニッシュ。個人的にはブラジル料理も大好きだが、これらの国に共通する要素がある。そう、ラテン国家なのだ。

極論すると、〝食文化〟があるかどうかだ。食事という人間の根源的活動を文化とみなして、高めようと思うかどうかだ。

ここで注目したいのは、イギリス流の「食」の捉え方と植民政策だ。彼らにとって「食」は文化ではなく、育成すべき「産業」だ。こうした国々では食は産業でありビジネスであり、資源である。

確かに、文化とは豊かな生活を尊ぶ姿勢であり、食もまた文化の一部です。
イギリスが重視したのは豊かさではなく合理性、だから食文化が育たなかった、という説は目から鱗の観点でした。
うーん、なるほど。

ただ、敢えて外したのかどうか、意図はわかりかねますが中国と中華料理が言及されていません。

「食文化=ラテン」と定義すると、中国をラテン国家の括りに含めることになるのですが、違和感が残ります。
中国四千年の文化の深みは、到底、否定できるものではありませんし、春節の盛大なことも世界的に有名です。
そういう意味では中国はラテンの定義から外れている、とは言えません。

ただ、中国は殺しすぎるのです。

中国四千年の文化の深みは、血の池の深みです。
前近代ならいざ知らず、現在進行形で血を求める姿は、ラテンから連想する、楽観的な明るさとは対象的です。

長年、探し続けた答えを見つけたと思った矢先に、新たな疑問が生まれてしまいました。
今後しばらくは、ラテンと中国に思い悩んでしまいそうです。

唯一の救いは、悩みの数は差し引きゼロで増えなかったことでしょうか。

異形の大国 中国―彼らに心を許してはならない (新潮文庫)

異形の大国 中国―彼らに心を許してはならない (新潮文庫)

記憶されぬ我が子の言葉を胸に刻みたい

昨年の11月に産まれた三女。
近頃は本当によく動き、よく喋るようになりました。

短い手脚をバタバタさせながら「アムアー」「ンブウ」などと、意味不明な言葉を発しています。
その姿が何ともいえず可愛らしく、つい時間を忘れて見入ってしまうこともしばしば。

そんな三女が、時折やけに長い言葉を発することがあります。
機嫌が良かったのが、だんだんと抱っこして欲しいアピールになり、抗議の声に変わる頃に、「ウベラオエアー」のような単語?がでてきます。
毎回似たような言葉なので、何か言おうとしてるんじゃないか、聞き覚えた言葉を使おうとしてるんじゃないか、と思ってしまいます。

しかし悲しいかな、この子が意思疎通ができる頃には、3歳より前の記憶はなくなってしまうようです。
長女も、次女もそうでしたし、私もそうでした。
きっと三女も覚えてはいないと思います。

そんな儚い娘の言葉だからこそ、耳を傾けずにはいられない気持ちになります。
だから今日も私は、意思疎通できてるのかよく分からない三女と、言葉のキャッチボールを楽しんでいます。

蒼い記憶: 3 (記憶シリーズ)

蒼い記憶: 3 (記憶シリーズ)

3か月過ぎてもブログの更新頻度を落とせない不幸との決別

どこだったかのブログで、まずはとにかく3カ月毎日書け、話はそれからだ、と書いてあったので、とにかく書いてみた。

しんどかった。

最初から3か月は毎日更新しよう、と思い決めていた当ブログですが、更新ペースを落とせないまま、4か月を迎えようとしています。
本当はもう少しペースを落として、伝えたいことがきちんと伝わる内容になるまで推敲したいと思っています。

さあ、ペースを落とそうか、そう思った矢先、なぜかアクセスがアップしたのです。

思い当たる原因はひとつしかなく、記事の言葉遣いを改めたことです。

キャッチーなタイトルならいざ知らず、内容の質でもない。
言葉遣いが変わっただけでアクセス数が変わるなんて、想定していませんでした。

人間とは弱いもので、こうなってしまうとペースを落とす勇気が萎えてくるのですね。
今ペースを落とすと、アクセスが減ってしまうかも、なんて気持ちが湧いてくるのです。

でも、恐怖に突き動かされる人は不幸だ。
下を見ている間は幸せになれない。

過去の自分が指摘している状態に陥っているのは何とも滑稽です。
そして、「ペースを落とさない」という努力が間違っていることも自覚しているから、苦しいのだと思います。

「頑張りでカバーする」という、いつか限界が来る方向の努力は最後には消耗戦になり、誰も幸せになれません。
アクセスが少ないなら、数を打つのではなく、心に響く内容を、個性的な内容を目指すべきなのです。

いわば「How」は体力勝負、「What」は内容勝負です。
個人ブログである以上、勝負できる内容に注力するべきなのは明らかです。

より私らしいブログになるよう、勇気をもって行動しようと思います。

「昨日の疲れ」が抜けなくなったら読む本

「昨日の疲れ」が抜けなくなったら読む本

空き地に居座る謎の外国人女性たち

昨日はとても良い日よりでした。
前々から予定していた、三女のお食い初めも和やかにとり行われました。

その日の昼すぎ、我が家の隣の空き地で、見慣れない若い女性が数人、座って何かしていました。
話し声から、日本人ではないようです、
最初は、時々見かける外人女性たちが、日向ぼっこでもしているのだな、と思って、特に気にしていませんでした。

しかし、夕方になって日が傾いてきても、彼女たちは帰る様子がありません。
そして何より不思議なのは、皆自分のスマホに夢中で、おしゃべりを楽しんでいる訳でもなさそうなことです。
祖国行きの迎えでも待っていて、来るのが遅れているのかしら?なんて勝手に想像しました。

そして21時。
なんと彼女たちはまだいます。
流石に通報しようかと思った頃、やっといなくなりました。

何だったんだろう?

そして翌日、つまり今日のことですが、また彼女たちはやって来ました。

なぜ?何のために?

外人

スマホ

…。

…。

Wifi!?

そういえば、我が家の無線ルータは、初期状態でパスワードが必要な接続と、パスワードが不要な接続の両方が使える状態になっています。
ここらへんは田舎で年寄りばっかりだから大丈夫だろうと、初期状態のまま使用していることを思い出しました。

試しに、無線ルータの電源を落として30分ほど放置してみました。

あぁ、ビンゴ。
彼女たちは消えていました。

しかし、無線ルータの電源を再度入れると、1時間もしないうちに戻ってきています。
この文章を書いている19:51現在、外は真っ暗ですが、外灯の薄明かりで、かろうじて彼女たちの姿が確認できます。

憶測ですが、国の家族に仕送りするために、生活費を切り詰めている彼女たち。
せっかく見つけたフリースポットを取り上げるのは可哀想な気もします。
でも、我が家のインターネットが、目に見えて遅くなっているのもまた事実なのです。

ん、ちょっと待った。

(憶測ですが)生活費を切り詰めている割には、思い思いのデジタルガジェットでネットを楽しんでいますね。
それに全員、それなりにオシャレな格好していたような気がします。

それならネット代も自腹で払えそうですね。

ということで、私事ですが、セキュリティの設定を変更しました。

フィリピーナはどこへ行った

フィリピーナはどこへ行った