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新しい趣味ができました

とはいっても、一年近く過ぎていますが。。

新しい趣味は漫画です。
漫画をたかくんと二人で作り上げる過程が面白いのです。

ちなみに、たかくんは高校からの友人です。
当ブログの開設式に祝電をくれた彼です。
yamahei.hatenablog.com
まあ、それはいいんですけど。

きっかけはとある大型連休でした。
たかくんとテニスと洗車をする予定の一日だったのですが、あいにくの雨。
二人で暇を持て余していました。

ご飯も食べて、ゴルゴ13の回し読みにも飽きて、いよいよ何もすることがなくなってしまいました。
その時、

漫画書いてみよっか?

といったのが私だったのか、たかくんだったのか、全く思い出せません。

でも、手元に無地のB5ノートと筆記用具があったこと、昨夜二人で観たコブラの印象が強烈に残っていたことを覚えています。

コブラ [DVD]

コブラ [DVD]

さて、まだ観ていない人は記事イントロのピザはなんだろう?と思うでしょう。
仕事を終え、帰宅したコブラがまずするのがピザを食べることだった。
ハサミでワイルドに切り取るところをマネした記憶があったのだが、再見してみると、すでにカットしてあるピザをちょっと切って食べるというかなりみみっちい方法だったのに驚く。
でももっと驚いたのは、同時進行で銃の手入れをするのだが、そのときの道具をタマゴのパックに入れてあったこと。
なんで?ダサいんですけど・・・と一瞬思ったが否!断じて否!!
これはスタローン的にカッコいいことなのだ。

映画をつなげて観るブログ : カッコいいことは『コブラ』で学んだより引用


その場はなぜか盛り上がり、さっそく漫画の制作に取り掛かったのでした。
テーマは「ハードボイルド」。

私が1ページ書くたび、たかくんが読み、話の展開や設定、セリフなどコメントする、というスタイルで書き進めていきました。

なんだこれは…面白い!

二人がぼんやりと共有している「ハードボイルド感」と、その場の雰囲気で物語が作られていく過程がとても楽しい!
そんなこんなで連休中に1.5話ぶんのオリジナルハードボイルド漫画ができたのでした。

そして、連休は終わったものの、書ききれなかった0.5話の残りだけはどうしても終わらせたい。
ということで、大阪-広島間でメールを使っての執筆が行われることになったのでした。


ところで、学生時代の友人と久しぶりに電話で話したのに、なんだか話が盛り上がらないことってあるじゃないですか。
どんなに親しい間柄でも、同じ場を共有していないがために、どことなく冷めた笑いしか出てこないような日ってあるじゃないですか。
電話が終わった後で、離れていること、大人になったこと…改めて感じて少し寂しい気持ちになったりして。


そんなあなたにも、漫画をおすすめしたい!

漫画1ページを書くのって、雑な鉛筆書きであっても30分はかかります。
話の筋を考えていたら1時間でも足りない。

それでも、読者は気心の知れたたかくん。
きっとこれなら笑う…どうだ!と放つ渾身の一撃。

コミュニケーションの密度が段違いなんです。

盛り上がらない会話を何とかフォローするような、白けさせたくない義務感のような気持ちは全くありません。
執筆、そしてリアクションの最中とは、話さずして相手と話しているんです。
きっとたかくんなら、俺たちなら…そう信じたあの頃と同じ気持ちで語り合っているんです。

これが面白くないわけがない。

いつでも繋がれるからこそ、雑なコミュニケーション、薄いコミュニケーションになりがちな現代。
手紙の良さは書いてみないとわからない。
届いたかな?返事はまだかな?
漫画の、否、マン・コミュニケーションの楽しさも、書いてみないとわからない。
読んだかな?笑ったかな?

現代社会が抱える孤独や寂しさを感じたとき、このことを思い出して欲しい。
どこの馬の骨が書いたのかわからない、ヘタウマな画像がワンクリックで届くことがコミュニケーションですか?


断っておきますが、私たちは特に漫画、絵、物語に関して優れた能力があるわけではありません。
なぜ漫画を描こうと思ったのかもわかりません。

そして今、一つの疑問が沸き上がっているのです。

俺たちが(過程を)こんなに楽しんだ(結果の)漫画は、他の人から見て作品といえるのか?

ということで、思い切って公開してみようと思うわけです。


えー宣伝かよーとか
うまいって言ってもらいたいのミエミエでキモイとか
そういうのではないです。

pixivのアクセス解析みてたら大体わかります。
あ、あんまり受け入れられてないな、って。

今回は漫画を見せたいのではなく、マン・コミュニケーションの楽しさをお伝えしたいのです。
自分的にすごい長文なので、ここまで語っておいて漫画は秘密かよ~
というのも何だかな~

ということで、一応、公開するのです。
悪しからず。

www.pixiv.net

知る人ぞ知る?かの名作をリメイク!Androidゲーム「ISS Bear」をリリースしました

バブル崩壊の混乱も冷めない1994年、とある地方としの片隅でそのゲームは生まれました。
プラットホームは宮沢りえをCMに起用して大いにマルチメディアを謳ったFM-TOWS。
当時パソコン少年だった私は日夜、FM-TOWSに向かってゲームプログラミングに明け暮れていました。
余談ですが、FM-TOWSは生き残れませんでしたが、宮沢りえは生き残っていますね。


Fujitsu - FM TOWNS #2 - YouTube


パソコンで何かを作り上げることが楽しい、というよりは、書き殴ったプログラムが生み出す偶然を楽しんでいた私は、その日も数字をこねくり回して、青い画面に白い線を描くプログラムを作っていました。
FM-TOWSが描く白い軌跡を眺めていた時、ふと「これはアメンボの動きに似ている」と思い立った私は、早速ゲームの製作に取り掛かりました。

そして出来たのが「アメンボゲーム」です。
全くひねりがないですね。。。

アメンボのような動きで障害物を避けてゴールを目指す、という単純なものでしたが、偶然と実力が程よくバランスしたテンポのよいゲームに(偶然)仕上がったため、剣道部の仲間たちとワイワイやるには持ってこいの定番ゲームになりました。

前フリが長くなりましたが、先日ふとアメンボゲームを思い出したので、作ってみることに。
折角なので子供たちも遊べるようにAndroidアプリにしてリリースしました。

https://play.google.com/store/apps/details?id=com.sakuraweb.yamahei.bear.astro
Astro Bear - Google Play の Android アプリ


たまたま利用させて頂いた素材が宇宙っぽいこともあり、少しアレンジして宇宙飛行士のクマがISSへ帰還する、というストーリーにしてみました。
基盤となる動きはかつてのアメンボゲームが再現できていると思います。

https://play.google.com/store/apps/details?id=com.sakuraweb.yamahei.bear.astro


元がミニゲームなので、暇つぶし程度にお楽しみいただければ幸いです。
一番苦労したのはゲームロジックではなく、なぜ宇宙でクマなのか?というストーリーだったのはご愛嬌。

# ストーリー:

時は西暦21XX年、宇宙世紀の開拓時代は今、最盛期を迎えようとしていた。
人類は、新たなパートナーである熊たちとともに、この時代を力強く生き抜いていた。

元来の人懐っこさと屈強な肉体、そして器用な前足を持つ熊たちは、重力から解き放たれたことによって脳容積が拡大し、大幅に知能を向上させた。
そして、22世紀初頭に獲得した積極的冬眠制御ホルモンが、彼らを人類の最良のパートナーに押し上げたと言っても過言ではないだろう。
極限状態での冬眠制御は、彼らの生命維持に大きなアドバンテージを与え、船外活動での生存率は人間を上回るまでになった。

これは、のちに「熊たちの時代」と呼ばれる宇宙世紀元年の熊たちの活躍を描いた物語である。

炎のAndroid開発道場

炎のAndroid開発道場

野良猫に餌をやる愚

猫好き、と呼ばれる方々がいます。
特にインターネットの世界では、犬好きよりも声が大きいようです。

職場の事務員さんも大変な猫好きだそうで、いつ猫に遭遇しても遊んでもらえるように、夫婦揃ってカバンの底に猫缶を忍ばせているそうです。
彼女の猫が好きな気持ちを否定する気はありませんが、猫好きを自認するなら、野良猫だけは可愛がってはいけない、とお伝えしました。
これは全ての猫好きの方々にも申し上げたいことです。

具体的にどう可愛がってはいけないかと言うと、撫でてはダメ、抱くのは論外、餌を与えるなどもってのほか。
それは愛ではなく、無責任で未熟な自己満足です。
最悪の場合、愛する猫をたちを死に追いやる恐れがあるので、金輪際辞めていただきたい。

「野良」は「野生」ではありません。
人間社会に付かず離れず、その余剰を掠めて口に糊する、いわば日陰者です。
猫は綺麗好きな生き物ですから、野良でも良い毛並みを保っているものもいます。
しかし実際には、予防接種も受けず、ノミも自力では取れない彼らは、人間社会では病原菌の媒介者です。

ちょっと戯れた拍子に歯や爪が立てば、人間に怪我を負わせる恐れがあります。
大人たちが、人間社会が、これを問題視すれば、一斉駆除の憂き目に会うのは彼ら野良猫たちです。

何を大げさな、と言うなかれ。

地方都市を取り囲む中途半端な田舎には、栄養事情の悪さからか、皮膚病を患う野良猫が沢山います。
そしてこの地域には、野良猫に対して無慈悲で、体力もまだ十分にあり、そしてお金と時間に余裕のある年寄りが沢山います。
地域に多大な影響力を持っている彼らにとって、野良猫は可愛い孫を傷付ける、危険で汚い生き物でしかないのです。
ひとたび彼らの逆鱗に触れれば、自治体をも動かし、地域一丸となって野良猫を駆除することでしょう。

人間社会に限って言えば「共存」とは、社会的に責任の取れる者、つまり人間の管理下で生きることを意味します。
つまり、ペットとして一般家庭で飼われるか、見世物として動物園に飼われる以外に、生命を保証する術がないのです。
人間の管理下にない彼ら野良猫は、人間に慣れるほど駆除される可能性が高まります。
人間を恐れ、夜中に人知れずゴミ箱を漁るぐらいが丁度いいのです。
野良でも天寿を全うさせてやりたいと思うのであれば、怪我させない程度に攻撃を加えて、人間に寄り付かないようにしてやるのが、本当の愛なのです。

たかが猫、と思えない全ての方に、重ねてお願いします。


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アナーキー先生、就任

新学期が始まり、我が子たちも無事に進級しました。
義務教育、ありがとう。

先日、小学校で保護者懇談があり、新しい担任の先生にお会いする機会がありました。
今年度から赴任した、白髪混じりの男性でしたが、お話を伺ってみると、どうやら並の御仁ではない様子。
随分とロックなハートをお持ちのようでした。


学校の指導方針や規則が印刷されたプリントを配り終えた直後、先生が口を開きました。

僕はルールが守れません。
だから子供たちにも、厳しく守らせるつもりはありません。

!?
ざわめく保護者たち。

先生はお話を続けます。

確かに「ルールだから」守らせるのは、指導する側は楽です。
しかし、ルールを強要し過ぎると、ルールがないと何もできない子供になってしまいます。
僕は、なぜ靴下は白が良いのか、なぜ授業中に騒いではいけないのかを、子供たちに考えてもらいたい。


あ、あぁ…。
そういうことですね。

クラス全員が仲良く、というのも無理があります。
僕は子供同士に仲良しを強要するつもりはありません。


!?
またもざわめく保護者たち。

先生のお話は続きます。

ただ、それでも一緒に作業しなくてはいけない時はあります。
その時に、お互いが抑えるところは抑え、譲るところを譲って、ひとつの目的のために協力できることが大切だと考えています。


え、えぇ…。
それは確かにそうですね…。

あと時々、子供を傷付けようと思っています。


!?
三たびざわめく保護者。

先生は止まりません。

最近は大学生ですら、教授の指摘に「今ので僕は傷付きました」などと言う時代です。
親や学校が子供を傷付けまいと守りすぎているんです。
でも社会の厳しさはそんなもんじゃない。
困難や挫折、理不尽さに出会っても、簡単には折れてしまわないように、訓練が必要なんです。

た、確かに…。
おっしゃる通りです。


先生は最後に、こう付け加えました。

僕のやり方を無法地帯のように感じたり、子供が深く傷付いているようでしたら、ご遠慮なく言ってください。
その時、どうするか考えます。


保護者たちが胸を撫で下ろす音が聞こえたような気がします。
何だろう、この緊張感。

お説はいちいちご尤も。
なのに感じる不安。

切り口が鋭いために、ドキッとするんです。
実際はそんなことはないのですが、タブーに触れることを予感させる物言いなんです。
最近の先生で、こんなにズバズバ言うのは珍しい気がします。


世の中には持論をヒステリックに強要する先生もおられますので、先生がご自身の思いをどう子供に伝えていくのか、そこは気になります。
ただ、学校のルールを強要しないと仰るのなら、きっと自分ルールも強要しない…ですよね?

担任とクラスは決定事項です。
我々保護者は良い先生であることを願うばかりです。


十歳のきみへ―九十五歳のわたしから

十歳のきみへ―九十五歳のわたしから

ありがとう、フォルカーせんせい (海外秀作絵本)

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オシリストが遭遇したありえないアバンチュール

時に匿名ブログというものが素晴らしいものだと感じることがあります。

現実世界では絶対に口にできない、私個人の趣味嗜好や体験談を、赤裸々に語ることが許されるからです。
王様の耳がロバの耳だなんて、口が裂けても言えない、でも言いたい。
誰にも言えないことは、近くて遠いネットの世界に撒き散らしてしまいましょう。


では早速まいります。


先日、朝の通勤時に、駅から会社まで歩いていた時のこと。
その日は、どストライクのお尻のシリップストリームに入って、その逸品を堪能していました。
私好みの黒いパンツスーツに包まれた、東洋人とは思えない、まるで背中から始まっているかのような肉付き。

歩くたびにワン・ツー、ワン・ツーと突き上がると同時に、私のハートにもアッパー気味のパンチが打ち込まれます。

そんなエキサイティングな時間も束の間、彼女の絶対空域に違和感を覚えました。

絶対空域女子

絶対空域女子


お尻の谷間の一番下、絶対空域の上辺中央あたりに、緑色の小さな「何か」が揺れています。
すでにパンチを浴びすぎているので確信は持てませんが、さっきまでは無かった気がします。

見れば見るほど、その「何か」は大きくなっていきます。
シリップストリーム内とはいえ、相手を不快にさせない距離を保つのはオシリストの当然の嗜みですが、視力2.0の私にはそれが何かが分かりました。


黒いパンツスーツが、彼女の猛ラッシュに耐えきれず、一番大事な部分から裂け始めているのです。
段差で強く突き上げるたびに、裂け目は広がっていきます。
ひとたび亀裂の入った堤防が脆いように、彼女のパンツが決壊するのも時間の問題に思われました。

そして、彼女はティーバックでした。

最初から隠す予定のない尻頬っぺたを真ん中で分割する細い紐と、その紐の隙間から、チラリチラリと覗いている鮭桃色は…あぁ神様。


緊張、興奮、焦燥、何とも言い表せない感情が私の中で一気に湧き上がり、私は思わず、彼女に声をかけてしまいました。

私:あっあの…。

彼女:えっ?

私:あの…。

彼女:(迷惑そうな顔)

私:お尻が…やぶれてて…、その…。

彼女:えっ!?(お尻を確認する)うそっ!? オジサン、上着貸して!

私:えっ?えっ?

彼女:上着!いいから早く!

私:あっ、ははいっ!


私の上着を手早く腰に巻いて、ひとまずの惨状を隠した彼女。
この先どうするかを、少し考えている様子でした。

彼女:オジサン、この上着借りていい?

私:えっ、あっ…。

彼女:このままじゃ帰るに帰れないし。

私:あっ、はい。

彼女:それとも一緒に来る?

私:えっ?

彼女:見てたんでしょ。私の。

そう言いながら彼女は、手の甲でいつの間に最高潮に達していた私の股間をスッと撫でました。

あっ!

私は思わず、大きい声を出してしまいました。


4月1日、今日は良い天気に恵まれました。
新年度早々、私の作り話に最後までお付き合いいただき、有難うございました。

今年度も頑張って参ります。

アバンチュール21 (手塚治虫文庫全集 BT 131)

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もう一人の魔法使い

先日、広島交響楽団のコンサートを聴きに行ってきました。


生のオーケストラの迫力は、耳で聴くというより、身体で聴くと言った方が近く、CDでは味わえない「芯から震える」感覚が病みつきになります。
音楽に全く詳しくない私でも、これを味わいたいがために、時々足を運んでしまいます。
プロの楽団のコンサートは結構なお値段だったりしますが、地元の学校の吹奏楽部が主催するコンサートでしたら、かなりお安い料金設定で「身体で聴く音楽」を体験できますので、興味がありましたら是非。

それはさておき、コンサートの最中は、指揮者が全体の音をコントロールします。
ある時は静かに、またある時には激しく、指揮者の動きにあわせて、様々な音が響きます。
そのリズミカルで、どこか楽しそうで、踊っているような後ろ姿を眺めながら、ふと思いました。

もし音に色や温度があったなら、指揮者は魔法使いだなあ。

単体では騒音でしかないシンバルも、指揮者の下では無くてはならないアクセントになります。
同じように全ての楽器は、指揮者にコントロールされることで、ひとつの楽曲として我々を楽しませてくれるのです。
音に色や温度がなくても、ある意味、魔法のような体験だと思います。

指揮者を魔法使いに見たてたのは、私が最初ではありません。
1940年にこれを発見して、ひとつの映像作品を作り上げた人こそ、世界中でその名を知らない者はいない、ウォルト・ディズニーです。

彼は作品「ファンタジア」の中で、指揮者をネズミの魔法使いとして描くという実験的な試みを行いました。

指揮棒を振り回し、美しい音楽という形で人々に幸せをもたらす魔法使い。
これを想像したとき、もう一人の魔法使いがいることに気が付きました。
振り回すのは指揮棒ではありませんが、独り炎に立ち向かい、料理という形で幸せをもたらす魔法使い。

そう、中華料理人です。

彼の手にかかれば、どんな食材も炎の中で踊り出します。
甘いザラメや苦いピーマン、肉も野菜も、ひとつの料理という完成された美味しさの一部になります。
そして、炎に立ち向かうその姿はリズミカルで、どこか楽しそうで、踊っているようにすら見えます。
中華料理店では、調理の過程を眺めるのも楽しみの一部だと感じているのは、私だけではないはずです。

中華料理は「炎の芸術」と表現されることがあります。
料理にせよ音楽にせよ、完成された技術というものは芸術的であり、結果のみならず、生み出す過程ですら、人を魅了する力があるようです。
私はそれを魔法のように感じましたが、洋の東西を問わず、職人を尊ぶ文化や、ハッカーを超える者をウィザードと称する文化など、似たような感覚を表す言葉や文化があります。

人を幸せにする魔法のような技術と、それを妬まず畏れず褒め称える心。
芸術の本質とはこういうものなのかも知れません。

芸術起業論

芸術起業論

幸せなミイラになりたい未来

先日の夜のこと。

子供たちを寝かしつけ、久しぶりに夫婦二人の時間。
どういう話の流れをだったか、妻が「そのうちテレビから匂いがするようになるんかね」と言いました。

うーん、どうだろう。

確かに、プリンターインクのように、匂いカートリッジを入れておけば、様々な匂いを再現する技術は不可能ではなさそうですが、それを視聴者が望むか、と考えると、疑問が残ります。
料理番組の美味しそうな映像と匂いを堪能して、視聴者には空腹だけが残るようでは魅力的とはいえません。

それだったら、脳波をコントロールする方が良いのでは?と思いました。
最近の研究を見ていると、意外と近いところまで来ているようです。


視聴者?はヘッドセットを装着して、現場の体験と同じ電気信号を脳に送り込めば、本番さながらの擬似体験を味わうことができる技術。
美味しい料理の匂い、味、食感、そして満腹感だって再現できそうです。


ここまで想像して、ハッとしました。


アダルトビデオに革命が起きる!


男優の脳波を擬似体験する、という需要は間違いなくあるでしょう。
でもそれは、既存の市場です。
開拓が遅れている残り半分、つまり女性たちに対して、女優の脳波をコンテンツとして提供できます。
さらに、脳波だけなら、逆の性を体験することも可能になるのです。


これはヤバイ。


再生と蓄積が可能な快楽を得た人間は、どうなってしまうのでしょう。
痛みや悲しみ、苦しみもない、お腹も空かない脳内の楽園。

幸福感に包まれながら干からびて死んで行く事件が続発しそうな予感すらします。
これはまるで、かのSF作品が暗示した未来のようです。


映画「アバター」の仮想体験に没頭しすぎて痩せ細る主人公


映画「マトリックス」の生ける電池として電脳世界に生きる人間たち

マトリックス・アルティメット・コレクション 〈10枚組〉 [DVD]

マトリックス・アルティメット・コレクション 〈10枚組〉 [DVD]


これらの作品は突拍子もない作り話ではなく、思っていた以上に我々の未来の線上にあるのかも知れません。