読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぼくらはなぜ生きるのか

人間社会は高度に発達していて、基本的には命の危機に晒されることがない。
つまり、人間は「生きる」ことが生まれながらに達成されている。
動物たちが生き抜くために維持している社会より高いレベルの社会の中で生存していると言える。
しかし、ぼくらが何のために生きるのかは各自で考えなさい、ということになっている。
だからみんな自分探しとか個性とかにこだわるんだろう。

要はみんな暇なんだ。
一生懸命、暇を潰して生きているんだ。

「人生とは死ぬまでの暇つぶし」はみうらの言葉である。人は生れ落ちた時、余生が始まると説いており、その余生を有意義にするのがマイブームである。


でも実は、ほとんどの人間は動物レベルでいいのだ。
生きるために群れ(会社)に属して自分の役割を死ぬ(定年)まで続けながら、動物の本能に従って子孫を産み育て、そして死んでいく。
動物を超えた目的を持っている人なんて一握りだ。
てゆーか「動物を超えた目的」ってなんだ?
生きるよりも大事なことのために生きるってなんだ?


唯一、思いつくのは芸術だ。
芸術は永遠だ。
それが何年前の作品であっても人は心を奪われる。
動物が一生をかけて永遠を生み出す作業に没頭するなんて聞いたことがない。
そもそも永遠に残る作品を作る手段は人間にしか生み出せていない。

じゃあ、芸術家とそれ以外で人生のレベルが違うんだろうか?

それもちょっと違う気がする。
「芸術的な仕事」と言うものがある。
生きるための生業を極めると芸術の域に達することがあると言えそうだ。

日本には職人を尊ぶ文化があった。
実際、法隆寺なんて人間レベルでは永遠といえる仕事だ。
ほんの150年ほど前まで、古いものを尊ぶ文化があった。
時の試練に耐え抜く価値があったから残ったのだと見なされていた。

古き良き日本文化には「動物を超えた目的」のヒントがたくさんあるようだ。
まだはっきりとは見えていないけど。

2013/12/05追記:
これも日本文化の美点のひとつだと思うのでリンクを追加。


日本文化における時間と空間

日本文化における時間と空間

広告を非表示にする