イジメの構造

イジメはなぜ起こるのか。
する方が悪いだとか、される方も悪いだとか、色々意見があるようだが、答えはまだ見つかっていない。

これは歪んだ生存競争なんではないかと思うんだな。
一般的に人生は暇だ。

しかし、ぼくらが何のために生きるのかは各自で考えなさい、ということになっている。
だからみんな自分探しとか個性とかにこだわるんだろう。

要はみんな暇なんだ。
一生懸命、暇を潰して生きているんだ。


高度な社会を維持する複雑なルールと目的のない人生。
何をどう楽しむかは各自に丸投げしておきながら、心の教育は不十分なまま放置されている。

罪かどうかの判定が難しいからこそ、心の教育が大事なんだと思う。
現在の道徳教育が不十分だから、陰湿なイジメを子供同士で指摘できてないのでは、というのは飛躍だろうか。


でも、これだけじゃ説明しきれていない気がする。
もっと醜い、ドロドロとした陰湿な悪意はどこからくるのか。
全国の小学校の中に一定数、悪魔が潜んでいるのはなぜなんだ。


ポールグレアム氏は著書「ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち」の中で、興味深い考察を行っている。

以下、かなり長いけど「第1章 どうしてオタクはモテないか」から抜粋する。

そもそも郊外は、子供にとっての危険が潜んでいる外界とは意図的に切り離されて開発されたものだ。

学校の表向きの目的は子供を教育することだ。しかし、本当の目的は、日中、子供を一箇所に閉じ込めておいて、大人が仕事ができるようにすることに有る。

私の知る限り、ホルモンでティーンエイジャーがおかしくなるという考え方は、郊外の街の発生と時を同じくしている。これは偶然ではないと思う。

現代のティーンたちはノイローゼの座敷犬だ。何もしないでいることからおかしくなってしまうんだ。

実世界で大人が集団を作る場合、それは普通、何か共通の目的のためであり、したがってその目的に一番ふさわしい人物がリーダーとなることが多い。

多くの学校の問題は、目的が無いことだ。だが階級は生まれざるを得ない。だから子供たちは何もないところから階級をひねり出すんだ。

ルイ14世の宮廷のようなものだ。外敵がいないから、子供たちはお互いを敵とするんだ。

宮廷の階級は全く違ったものだ。この種の社会は中に入る者すべてを悪くする。


ちょっと抜粋の度が過ぎて分かりにくいかもしれない。※1

要は学校が貴族的社会を生み出す構造になっているということだ。
「貴族的」とは、安全で、退屈で、善悪どちらの基準もない、と言う意味だ。
善悪の基準がない、ということは、頑張ることで順位を上げることが難しいと言い換えられるだろう。
結果、弱いものを蹴落とすことでしか自分を上げることができない。

学校に限らず、貴族的社会には同様の問題が潜んでいることを氏は暗示している。
そして、その人の善悪以上に、基準がないことによってエスカレートしてしまうことがより凄惨な行為を生み出してしまうのだろう。

氏の子供に対するまなざしは擁護的で、問題は環境にあって子供にはない、というスタンスのようだ。
ただ、氏の考察だけでは、陰湿なイジメに走る子供とそうではない子供がいることの説明がなされていない。

心の教育にこだわりたいのは俺が日本人だからだろうか?

※1:書籍版と多少の違いは有るものの、以下の翻訳サイトで大意はつかめると思う。

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