人間を人間扱いしなくなる瞬間

過去に人間力の必要性に触れた記事を書いた。


どんなに技術が進歩しても、それは人間のためであり、人間社会が豊かにならなければ意味がない。
だから人は、他の人を尊重し、敬うことを忘れてはいけない。
本当の意味での自由を尊重し合う社会が、最も豊かな社会だからだ。

とは言え、自分以外はみんな他人。
すべからく尊重するのが難しいことがある。
過去にどうしても人を人として尊重できなかった場面を振り返ってみると、状況として2つ、結果として1つの場面に集約されるようだ。

状況1:満員電車
若い頃、1年ばかり都内で働いていたことがある。
とは言え、住居は衛星都市にあり、毎日地獄の満員電車に揺られていた。
最初の頃は、触れたり押したりしてしまう度に、スミマセンを連発していたが、そもそも誰も返事すらしないから、そのうち馬鹿らしくなって、声をかけるのをやめた。
慣れと言うのは恐ろしいもので、声をかけない相手を人間と意識する気持ちがだんだんと薄れてきて、周りの人たちが壁のように思えてきた。
吊革に手が届かない時は、壁にもたれりゃいいや、という気持ちで、実際よりかかっていた。

状況2:マニュアル店員
これは土地に限らず、飲食店やコンビニで、完全にマニュアルをこなすこと以外に興味のない店員のことだ。
「お弁当温めますか」「ありがとうございました」など、ルールに沿って声を出すことは出す。
でも、それだけだ。
こちらの目を見ない、こちらの声に返事をしない、マニュアルにないことを言われたら、黙って固まる。
なんだこいつは?
人を相手にするのがサービス業なのに、自分とマニュアルだけの世界に閉じこもっている、まるでロボットだ。
きっと向こうからも、俺のことはPOSレジの延長線上の何かに見えているに違いない。


結局のところ、人間扱いしてもらえないと、こちらも人間扱いできなくなるようだ。
残念と思う反面、当然かなとも思う。

豊かさとは何か。
幸せとは何か。
そこだけは外さずに、生きていきたいものだ。

人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線

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