変な名前と社会性の欠如

就職活動では、いわゆるDQNネーム、キラキラネームは、書類で落とされるとか落とされないとか。
でもスポーツの場合、結果ありきの選考だから、ある意味公平な判断が下される。

変な名前って、本人がつけた訳じゃないし、変かどうかって判断も主観的なものだ。
本人にしてみれば、名前だけで判断されるのは、不本意で不公平に感じるんじゃなかろうか。

それでも名前で判断したい俺がいる。

だってさ、変な名前を付けた親に育てられるんでしょ。
良識を疑う環境で育ったと考えると、やっぱり身構えたくなる。

さっき、変な名前かどうかの判断が主観的なものだって言ったけど、実はそれも怪しいと思ってる。
いや、そっちの方が問題の本質だと言ってもいいと思う。

主観は本人のものでありながら、みんなのものだと思う。
学校や地域で刷り込まれた観念が、多分に含まれているからだ。

変な名前だと感じる主観の中には、少なからず社会的な通念が含まれていると思う。
だから、変な名前を付けた親に対して、主観が自分と大きく外れてると感じて、異物感に似た不快感を覚えるんじゃないか。

主観の個人差が大きいってことは、社会通念が希薄な「分かり合えない社会」ってことにはならないか。
価値観を共有できない社会は、日本を弱くしてしまうんじゃないか。

杞憂ならそれでいい。
でも本当なら、早く何とかしなきゃ。
分かり合えない大人が育てる子供、その連鎖は加速する。

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