名前の由来

子供が、自分の名前の由来を親にインタビューする、という宿題を持って帰ってきました。
以前から「雪の日に産まれたから、ユキと名付けた」という話をしていたので、今回も同じ話をして、インタビューはおしまい。

その晩、妻と昼間の話になったのですが、いつの間にか思い出ばなしに花が咲いて、産まれた日の大雪のことや、それまで考えていた名前のことなど、浮かんできた思い出に任せるままに、会話は進んで行きました。
その中でふと、私が口にした一言に妻が耳を止めました。

どうやら妻は、私が子供の名前を、自然から取りたいと思っていた理由を、知らなかったようなのです。
そう言われてみれば当時、「何で」と聞かれなかったから、説明しなかったような気もします。

結婚して、いざ我が子が産まれることが分かった時。
まだ親としての自覚もなかった頃です。
私たち夫婦の、親として最初の仕事は、我が子が一生使う名前を贈ることでした。
一生使うという条件は、難しいというよりも、重いと表現する方がしっくりくる気がします。

私は、私に名前をくれた両親と家族、それまでの自分の人生について、振り返ってみました。
恩の大きさの割に、随分と身勝手に生きてきたように思います。
それでも、私は一人ではありませんでした。
親の意向に沿わない生き方でも、そこには誰かがいました。
今思えば遠回りだったと言える選択でも、得るものが全くなかった訳ではなく、得難い経験ができたこともありました。
そして、こんなに身勝手な私にも、帰る場所が残されていて、それが家族であり、両親でした。

生まれてくる子供に私の血が流れている以上、親の思いや願いは、我が子に届かないと思って、期待しすぎない方が良さそうです。
となると、名前に色々詰め込んでも、あんまり意味がなさそうです。

我が半生を振り返って、私と親の関わりを、我が子と私に置き換えてみました。

  • 子供の人生は長く、その大半は親の思い通りにはならない
  • いつでも、今ある環境の中で関わり合いながら生きていかなくてはならない
  • 環境とは大きい意味では自然、中くらいだと社会、小さいのは人間関係。
  • 環境は変えたり選んだりできることもあるし、できないこともある
  • 環境は敵でも味方でもなく、そこから何か学び取るかどうかは本人次第。

私が親として我が子にしてやれることは、最初の環境としての家族であること、いつでも「おかえり」と言ってやれる家庭であることぐらいのようです。
それ以上は子供の人生として望みすぎないという意味を込めて、自然から取ろうという気持ちが固まりました。

親としての自覚が全くない状態で始まった我が子の命名。
はからずも我が身を振り返り、我が子の行く末に思いを巡らすことになりました。
未熟者の私が、親としての心構えを持つための、よい時間だったと思います。

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