美味しい食事と身分制度、そして文化と気質

かねてより、食事が美味しい国は、身分制度の厳しさに原因があるのではないか、と考えていました。

食事を楽しむ上流階級がいて、取り立てられる手段として料理人がいる、という構図を思い描いていたのです。
日本、中国、ベトナム、インド、トルコ、イタリア、フランス、スペイン…。
一見、それっぽい仮説なのですが、このルールに則らない国があるのです。

イギリスです。

なぜイギリスの食事は不味いのでしょうか。
身分に上があれば豊かな暮らしをするのが人情、身分に下があれば上に行きたくなるのが人情。
美味い食事という、人間の根源的な欲求を、出世の足がかりにしないなんて。
その答えを長年、探していました。

世界のおいしい有名料理、フレンチ、イタリアン、スパニッシュ。個人的にはブラジル料理も大好きだが、これらの国に共通する要素がある。そう、ラテン国家なのだ。

極論すると、〝食文化〟があるかどうかだ。食事という人間の根源的活動を文化とみなして、高めようと思うかどうかだ。

ここで注目したいのは、イギリス流の「食」の捉え方と植民政策だ。彼らにとって「食」は文化ではなく、育成すべき「産業」だ。こうした国々では食は産業でありビジネスであり、資源である。

確かに、文化とは豊かな生活を尊ぶ姿勢であり、食もまた文化の一部です。
イギリスが重視したのは豊かさではなく合理性、だから食文化が育たなかった、という説は目から鱗の観点でした。
うーん、なるほど。

ただ、敢えて外したのかどうか、意図はわかりかねますが中国と中華料理が言及されていません。

「食文化=ラテン」と定義すると、中国をラテン国家の括りに含めることになるのですが、違和感が残ります。
中国四千年の文化の深みは、到底、否定できるものではありませんし、春節の盛大なことも世界的に有名です。
そういう意味では中国はラテンの定義から外れている、とは言えません。

ただ、中国は殺しすぎるのです。

中国四千年の文化の深みは、血の池の深みです。
前近代ならいざ知らず、現在進行形で血を求める姿は、ラテンから連想する、楽観的な明るさとは対象的です。

長年、探し続けた答えを見つけたと思った矢先に、新たな疑問が生まれてしまいました。
今後しばらくは、ラテンと中国に思い悩んでしまいそうです。

唯一の救いは、悩みの数は差し引きゼロで増えなかったことでしょうか。

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