何のために勉強するのか

何のために勉強するのか。
子供たちにとって、永遠の課題です。
でも、大人にとっても、それは課題です。

若い頃にもっと勉強しておけばよかった、と悔やむ大人は沢山います。
しかし、じゃあ勉強していたらどうなっていたか、というところまで具体的に語れる人はあまりいません。
「きっともうちょっと稼げてただろう」なんて希望的な自虐が関の山です。

勉強は資格と違って、何かに直接役に立つものではなく、頭の基礎体力なのだと思います。
勉強とは、知識と思考の引き出しを増やすためにするものです。

センセー、勉強って、将来なんの役に立つんですかー?

これは発想が逆だと思います。

何かの役に立つから勉強するのではなく、何かの役に立つことを発見するための材料が、勉強で得た知識や思考なのです。
そして、それを発見した人が成功するのだと思います。
発見といっても、新商品を発明するだけでなく、身の回りにあるものごとの改善や発展にも、当てはまると思います。
知識と思考の引き出しが多いほど発見しやすい。
だから勉強が必要なのです。

注意したいのは、引き出しの多寡によらず、それを開けるかどうかにも本人の資質が問われることです。
引き出しを開けないままに忘れ去る人もいれば、取り敢えず全部開けて見る人もいるでしょう。
必要な時に必要な引き出しを開けるには、訓練が必要です。
そこに経験の重要性が隠れているように思うのです。

「勉強だけが人生じゃない」という人はいますが、「勉強さえしておけば人生は素晴らしい」という人はいません。
様々な経験から、頭の引き出しの開け方を学ばなければ、宝の持ち腐れになってしまう、ということを言わんとしているのだと思います。

そうなると、勉学を課せられている若者諸君の日々は、忙しいものであるべきなのでしょう。
詰め込むことも大切、そして、詰め込んだものを活かす訓練も大切。
「よく学び、よく遊べ」とはよくいったもので、楽しみながら身につけることで、知識と経験はより良質なものになることを示しているように感じます。

かつて、同僚の雅くんが「学校とかテストに関係ない勉強は楽しい!」と言っていました。
大人になるほど、勉強と趣味の境界線は曖昧になります。
誰にも強制されず、知的好奇心の赴くままに知識を貪るのは楽しい。
この感覚の目覚めが学生自分にあれば…と悔やんでも時間は戻せません。

ならばせめて、我が子の気付きを後押ししてやれる父でありたい、と願っています。

毎日を楽しむこと。
毎日は学びであること。
知ることは楽しみを深めること。
楽しむ心は育てるものであること。
すべては幸せに通じる道であること。

何事も失敗した数だけ上手になります。
だから、間違えることを恥ずかしいとか、失敗したくないからやらないとは考えないでください。

いっぱい失敗すると、だんだんと物事の楽しみ方が分かるようになります。

ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~

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なぜ勉強するのか? [ソフトバンク新書]

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