もう一人の魔法使い

先日、広島交響楽団のコンサートを聴きに行ってきました。


生のオーケストラの迫力は、耳で聴くというより、身体で聴くと言った方が近く、CDでは味わえない「芯から震える」感覚が病みつきになります。
音楽に全く詳しくない私でも、これを味わいたいがために、時々足を運んでしまいます。
プロの楽団のコンサートは結構なお値段だったりしますが、地元の学校の吹奏楽部が主催するコンサートでしたら、かなりお安い料金設定で「身体で聴く音楽」を体験できますので、興味がありましたら是非。

それはさておき、コンサートの最中は、指揮者が全体の音をコントロールします。
ある時は静かに、またある時には激しく、指揮者の動きにあわせて、様々な音が響きます。
そのリズミカルで、どこか楽しそうで、踊っているような後ろ姿を眺めながら、ふと思いました。

もし音に色や温度があったなら、指揮者は魔法使いだなあ。

単体では騒音でしかないシンバルも、指揮者の下では無くてはならないアクセントになります。
同じように全ての楽器は、指揮者にコントロールされることで、ひとつの楽曲として我々を楽しませてくれるのです。
音に色や温度がなくても、ある意味、魔法のような体験だと思います。

指揮者を魔法使いに見たてたのは、私が最初ではありません。
1940年にこれを発見して、ひとつの映像作品を作り上げた人こそ、世界中でその名を知らない者はいない、ウォルト・ディズニーです。

彼は作品「ファンタジア」の中で、指揮者をネズミの魔法使いとして描くという実験的な試みを行いました。

指揮棒を振り回し、美しい音楽という形で人々に幸せをもたらす魔法使い。
これを想像したとき、もう一人の魔法使いがいることに気が付きました。
振り回すのは指揮棒ではありませんが、独り炎に立ち向かい、料理という形で幸せをもたらす魔法使い。

そう、中華料理人です。

彼の手にかかれば、どんな食材も炎の中で踊り出します。
甘いザラメや苦いピーマン、肉も野菜も、ひとつの料理という完成された美味しさの一部になります。
そして、炎に立ち向かうその姿はリズミカルで、どこか楽しそうで、踊っているようにすら見えます。
中華料理店では、調理の過程を眺めるのも楽しみの一部だと感じているのは、私だけではないはずです。

中華料理は「炎の芸術」と表現されることがあります。
料理にせよ音楽にせよ、完成された技術というものは芸術的であり、結果のみならず、生み出す過程ですら、人を魅了する力があるようです。
私はそれを魔法のように感じましたが、洋の東西を問わず、職人を尊ぶ文化や、ハッカーを超える者をウィザードと称する文化など、似たような感覚を表す言葉や文化があります。

人を幸せにする魔法のような技術と、それを妬まず畏れず褒め称える心。
芸術の本質とはこういうものなのかも知れません。

芸術起業論

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